飯羽間城 |
別名 | 飯峡城 | ||
所在地 | 岐阜県恵那市岩村町飯羽間市場田 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、碑、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | |||
築城者 | 遠山友勝 | ||
歴代城主 | 遠山氏 | ||
形式 | 平山城(比20m、標530m) 登城口から主郭まで約5分 |
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訪城日 | 2023/5/26 | 感想 | ○ |
明知鉄道「極楽駅」から西南西へ約2km。県道406号が屈曲する南側の小山が城で、「飯羽間城址」と大きな看板が出ています。城の北東、406号沿いに駐車場があり、城はここから南西へ170m程進んで右折(案内有)。更に道なりに進むと登城口です。 【感想・メモ】 城址碑がある登城口は崖崩れのため使用できなくなったようで、奥の登城口から入りますが、こっちが本来の大手道だったようです。以前(2004年)訪れた時は酷い竹薮だったのですが、竹が伐採され城内は見やすくなっていてびっくりしました。親切に説明板があちこちにあるのが面白いです。 【歴史】 遠山友勝が築城したが、織田信長の命を受け苗木城主へ替わった。飯羽間城は子・友忠に譲るが、友忠はその後、阿寺城へ移った。替わって、友忠の子・友信が城主となったが、天正3年(1575)、武田勝頼による明知城攻めの際、明知城を守備する一人であったにも関わらず、武田軍に通じて明知城落城へ導いた。友信はその後、武田氏のもとに居たが、天正10年、信長の甲斐出兵の際、捕らえられ殺害された。 参考資料 現地説明板 『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集(可茂地区・東濃地区)』 岐阜の山城ベスト50を歩く |
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