【道案内】 |
城跡の地図 |
自刃の地の地図 |
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城主山崎伊豆守自刃の地 |
徳山高校徳山北分校の南東、保福寺からその背後の丘陵上にかけてが城で、お寺に参拝者用駐車場があります。 |
【感想・メモ】 |
お寺の前に説明板があり、お寺の墓地に城主墓と城址碑、説明板があります。この上の山頂部が城の主要部と思われ、傾いた模擬櫓がありましたが遺構はありません。また、徳山高校の東側道路を北上すると左手に自刃の地があります。 |
【歴史】 |
築城に関しては詳細不明。毛利元就の防長制圧にて最大の激戦地となったのがこの沼城の戦いである。天文24年(1555)厳島合戦にて陶晴賢を破った元就は防長制圧に乗り出した。弘治2年(1556)の4月と9月の二度にわたり、元就嫡男の隆元は沼城を攻撃したが、大内勢の勢力と、沼城が三方を沼沢に囲まれた堅固な城塞であったため攻めあぐねた。翌弘治3年、元就自らが総大将となり将兵1万余騎を率いて総攻撃を行った。城主山崎伊豆守興盛は必死に抵抗したものの力尽き、伊豆守父子は自刃、沼城は落城、籠城していた男女1500人余は斬殺されたという。 |
遠景 |
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |