山口県のお城 まえだほうだい
前田砲台
別名
所在地 山口県下関市前田1-7
遺構等 説明板
現状 史跡公園
築城年 文久3年(1863)
築城者 長州藩
歴代城主
形式 台場
登城時間
訪城日 2013/4/30 感想
【道案内】 城跡の地図
国道9号「前田」信号から北東へ約250m進んだ左上が砲台で国道沿いに看板が出ています。国道から1本北の通りに見学者用駐車場(2台分)が完備されています。
【感想・メモ】
砲台に説明板があります。また、連合軍により接収された大砲(長州砲)1門が市立長府博物館に展示されています。
【歴史】
外国船来航などにより緊張が高まった幕末、長州藩が諸外国の排除を目的とした攘夷戦争に備え十数ヶ所に設置した砲台の一つ。関門海峡に面した茶臼山山麓の標高約10mに設置された低台場と標高約16mに設置された高台場(東方の中国電力下関寮付近)からなり、青銅製の大砲(長州砲)20門を設置した中心的軍事施設だった。文久3年(1863)5月、長州藩は関門海峡を通過する米仏蘭の艦船に対し海峡沿いの砲台から砲撃を加えたため、翌6月に米軍艦が報復措置として長州藩の軍艦を沈没させ、仏軍が前田砲台の低台場を破壊した。この攻撃後、低台場の補修と高台場が急造されたが、翌元治元年(1864)8月、英米仏蘭の四国連合艦隊が関門海峡沿いの砲台を砲撃した(下関戦争)。これにより長州藩は大敗を喫し、前田砲台は連合軍に占領され、砲台関係施設はことごとく焼き払われ、設置された大砲は戦利品として接収された。
参考資料
現地説明板
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