櫛崎城

天守台石垣
別名 串崎城、雄山城
所在地 山口県下関市長府宮崎町6
遺構等 曲輪、石垣、天守台、碑、説明板
現状 関見台公園
築城年 永禄12年(1569)
築城者 内藤氏
歴代城主 内藤、毛利
形式 平山城
訪城日 2013/4/29
関見台公園には天守台石垣が復元され、なかなか格好良く、眺望も最高です。海が目の前に広がっているので、スカーっと晴れやかな気分になります。公園の下方には往来の石垣が残り、特に見応えがあるのが公園から民家の間の細い道を北へと歩いて行くと見える石垣。民家の中にまで石垣があり、途中井戸跡?と思えるものもありました。この石垣北側に城址碑と説明があります。
【感想・メモ】

【道案内】
城跡の地図
国道2号と国道9号が交差する「印内」信号を南へと国道9号に入り、1.5km程南下し左手に「豊浦高校」を過ぎてすぐ(市立美術館の向い)を左折すると、無料駐車場があります。この駐車場に関見台公園の案内板があり、この公園が城跡です。
永禄12年(1569)、大内氏家臣・内藤隆春が居城したといわれる。慶長5年(1600)関ヶ原合戦により、毛利氏は防府・長門の2国に減封され長門を本拠とした。下関市長府には支藩として長府藩が成立し、初代藩主として毛利秀元が3万6千2百石を領し、櫛崎城を修築した。しかし、元和元年(1615)一国一城令により、櫛崎城はとり壊された。そこで、現在の豊浦高等学校の敷地に藩主の居館が置かれた。
【歴史】

碑と石垣

くしざきじょう
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