山口県のお城 かつさかほうだい
勝坂砲台
別名
所在地 山口県防府市下右田59
遺構等 土塁、石垣、説明板
現状 宅地、道路
築城年 文久3年(1863)
築城者 萩藩
歴代城主
形式 台場
登城時間
訪城日 2013/5/2 感想
【道案内】 城跡の地図
山陽自動車道「防府東インター」から北西へ約1.5km。山陽自動車道の下を通る国道2号(防府バイパス)「沖高井交差点」信号を北へと国道262号に入り、1km程北上して山陽新幹線をくぐり、更に500m程北上した道路右手(東)が砲台跡で案内板があります。
【感想・メモ】
国道262号の東側コンクリート面に説明板が埋め込まれています。この北側の階段を上がると石垣が見られますが、「萩往還」の説明板によれば国道そばの石垣は一部改修されたものとあり、上の台場には石垣と土塁が一部残っているとあります。「萩往還」の説明板は、砲台の説明板から50m程南を東の路地へ入ってすぐ左手にあります。
【歴史】
文久3年(1863)、萩藩は新しく政治の中心と定めた山口を外敵から守るため勝坂に関門を設置し、東西両側の高地に砲台を築いた。この付近は明治3年(1870)の脱隊騒動で最大の激戦地の一つとなり、勝坂でも同年2月、右田毛利兵が徳山藩・岩国藩の兵と共に脱隊兵と激しく戦った。その後、西側の砲台は早い時期に撤去された。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
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