八橋城 |
別名 | |
所在地 | 琴浦町(東伯町)八橋 |
遺構等 | 曲輪、土塁、石垣、碑、説明板 |
現状 | 公園、山林 |
築城年 | |
築城者 | 行松正盛 |
歴代城主 | 行松、中村、池田、津田 |
形式 | 丘城(比15m) |
訪城日 | 2007/5/2 |
大永4年(1524)、ここを攻略した尼子経久は城番として吉田左京亮を置いて、伯耆支配の拠点とした。その後、尼子氏を滅ぼした毛利氏は、杉原盛重に城を守らせた。天正年間(1573-92)、織田氏と対決するようになると、八橋城は山陰での毛利勢の中心拠点として重要視され、城の整備が進められた。豊臣政権下では南条氏が領有したが、関ヶ原合戦後、徳川治下で一時期、中村氏、市橋氏が封じられた。元和3年(1617)、池田光政が鳥取藩主となった時、一藩一城制で廃城となった。寛永9年(1632)池田光仲入国後、津田氏が八橋を領有し、以後明治まで陣屋を置いて治めた。 |
やばせじょう |
JR山陰本線「八橋駅」付近一帯が城跡で、駅北口に駐車可能です。 |
JRで分断されてしまい、駅の北側は公園として整備されています。登り口に城址碑と説明板があり、登っていくと少しだけ石積みが見られ、本丸下の曲輪は神社になっています。本丸には、「酒井片桐飛行殉難碑」という大きな石碑があります。駅の南側にも続きだったと思われる小山が見えます。もしかしたら何か残っているのかもしれませんが、寄らずに帰ってしまいました。 |