【道案内】 |
城跡の地図 |
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山中鹿助供養塔 |
末吉集落一帯が城跡で、国道9号「末吉」交差点(北東側)に塚などがあります。 |
【感想・メモ】 |
山中鹿介の供養塔、和議の使者として毛利氏が城内に遣わせたものの討たれた美甘与一右衛門の死を悼んだ美甘塚、すぐ隣の駐輪場に「末吉城址」の看板があります。 |
【歴史】 |
城の築城年・築城者の詳細は不明。元亀2年(1571)、尼子勝久をかついで尼子再興へと蜂起した山中鹿介は大山寺経悟院と結んでここ末吉城を西伯耆最後の拠点とした。一方、毛利元就が死去し、父の遺志を継いだ吉川元春は吉田郡山城を出発。数日間の猛攻により末吉城は陥落し、鹿介は尾高城に囚われた。 |
駐輪場 |
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
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