石井垣城の築城年は不明だが、元弘3年(1333)、船上合戦当時、伯耆国の守護代・糟谷弥二郎元覚がこの城に居城していた。名和長年軍の攻撃により炎上し、糟谷氏は滅亡した。その後、箆津豊後守敦忠が居城した。 |
石井垣城 |
別名 | 岩井垣城 |
所在地 | 鳥取県大山町(中山町)石井垣 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、説明板 |
現状 | 春日神社、山林 |
築城年 | |
築城者 | 篦津敦忠 |
歴代城主 | 篦津、糟屋 |
形式 | 山城(比40m) |
訪城日 | 2007/5/2 |
JR山陰本線「中山口駅」から南西へ約1km。国道9号「羽田井入口」信号を南へと県道239号に入り、1km程南下して右折し、700m程西進して甲川を渡ると道路が左カーブになりますが、この右手にお城の説明板があります。城跡はこの北側〜春日神社南にかけてとなります。説明板から道なりに左に折れて、80m程南下すると右手に春日神社がありますが、この神社南側に広い駐車スペースがあります。 |
いわいがきじょう |
春日神社西の空堀 |
春日神社の南側の駐車スペースから西側の藪に入っていくと、立派な空堀が幾つか見えます。本丸へは、説明板から右手の川方面へ下り、少し北へ歩くと左手に城跡への入口があります。ここを入っていくと、本丸で左手が二の丸となりますが、かなり藪でした。更に奥(西)へ行くと、土塁や空堀で区画されており、屋敷跡になっています。かなり広い城域で、曲輪は7つあるようです。 |