【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
|
|
|
JR伯備線「江尾駅」東方約170mの台地上が城。国道181号「江尾」信号を東へと国道482号に入り500m程東進した後、坂を上がりながら右カーブ、右手方向に江府町役場を過ぎて左カーブとなります。この左カーブが終わる付近右手に山の方面へ入っていく細い道があるので、ここから徒歩で城へ向かいました。国道のカーブの少し先が広くなっていて駐車可。または、台地上まで車で上がりきってすぐを右折し、1本目路地を右折して500m程西進すると土橋前まで車で行けるようです。徒歩の場合は、江尾駅東方から模擬櫓へ向かう道があります。 |
【感想・メモ】 |
私はカーブの所から歩いて城へ向かいました。3分も歩けば土橋となり、堀底には観音様やお墓がぎっしり。土橋を渡りきった所に説明板があり、その先が主郭で北東隅に石積みを伴う櫓台跡があります。この西に堀切があり、西の丸、八幡丸と続きます。八幡丸には模擬櫓(閉館した歴史民俗資料館)が建っています。 |
【歴史】 |
文明16年(1484)頃、蜂塚氏初代城主・安房守によって築かれたと伝わる。その後、二代三河守、三代丹波守、四代右衛門尉と約80年続き、鉄山と開田の技術を家業としていた。永禄7年(1564)尼子方に属していた右衛門尉は、毛利方の尾高城主杉原盛重に攻められ落城し、蜂塚氏は滅亡した。その後も日野地方を抑える要衝として重視された。 |
【参考資料】 |
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |