【道案内】 |
登城口の地図 |
城跡の地図 |
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国道191号から益田川を北へ渡って県道309号へ入り、200m程進んで左手に「東仙道小学校」を過ぎます。更に600m程北上して左折し、案内に従い林道終点まで進むと駐車場となり、説明板がある所が北登城口です。 |
【感想・メモ】 |
登り始めて間もなく分岐がありますが、まずは「一の岳」を目指します(もう片方は井戸経由のルート)。その先の竪堀や堀切を過ぎると一の岳で、ここが主郭と思われます。四ツ山城は名前の通り、ここから西尾根に向かってほぼ同じような標高のピークが4つ並んでおり、東から順に一の岳、二の岳、三の岳、四の岳となります。一の岳の西下方には井戸もあります。 |
【歴史】 |
この地は元暦元年(1184)、一の谷の戦功に対し源頼朝が益田兼高に与えた、益田氏始祖伝来の領地だった。築城年は不詳だが、鎌倉時代中期に益田氏が、または南北朝時代に益田兼見の子兼弘が築いたといわれる。天文年間(1532-55)には三隅氏の領地となり、四ツ山城には家臣須懸忠朝を置き、忠朝没後はその子忠高が継いだ。元亀元年(1570)、忠高は毛利氏の中国征伐に反対したため毛利・益田両氏に攻められ忠高は自刃、四ツ山城は再度益田氏が領有した。 |
【参考資料】 |
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『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子)
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |