島根県のお城 たかせじょう
高瀬城
別名 高瀬山城
所在地 島根県出雲市斐川町学頭
遺構等 曲輪、石垣、堀切、説明板
現状 高瀬山(山林)
築城年 暦応年間(1338-41)
築城者 建部内蔵伊賀
歴代城主 建部氏、米原氏、吉川元春
形式 山城(比250m、標314m)
登城時間 登城口から主郭まで約30分
訪城日 2013/4/23 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
城は高瀬山に築かれており、登城口は南の光明寺、北(西)の神庭谷、北(東)の宇屋谷の3ヵ所ありますが、私は宇屋谷から登りました。荒神谷史跡公園から1km程東進して右折し、600m程南下して山陰道をくぐり、更に200m程南下すると左カーブで赤い「高瀬不動橋」がありますが、この手前右手が登城口(案内有)で、登城口手前に駐車スペースがあります。
【感想・メモ】
高瀬城は、最高所で主郭部となる「大高瀬」、二郭の「小高瀬」、三郭の「鉄砲立」の大きく三つで構成されています。宇屋谷から登ると10分程で鉄砲立となり説明板があります。更に10分程で「駄置場」と呼ばれる削平地があり、ここから西尾根が小高瀬ですが、あまりの藪で断念しました。更に細尾根を登りつめると主郭で、眺望が素晴らしいですが、全体に遺構はパッとしません。遊歩道が整備され、眺望も良いことからハイキングコースとして人気があるようです。
【歴史】
暦応年間(1338-41)に建部内蔵伊賀が築城したとの伝承があるが詳細不明。戦国時代には佐々木六角氏の支流で尼子氏の被官となった米原氏が城主であった。城主米原綱広の時は「尼子十旗」の第六旗に位置づけられていた。尼子氏復興戦となる元亀元年(1570)から翌年にかけて毛利輝元の総攻撃により落城、時の城主で綱広の子・綱寛は尼子勝久の立て籠もる真山城に逃れ、後に京へ上って出家したといわれる。その後、高瀬城には吉川元春が入城して尼子氏討伐の拠点としたが、尼子勢が一掃されると廃城となったと思われる。
参考資料】
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(出雲・隠岐の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子)
『日本城郭大系』新人物往来社発行
駄置場 登城口 遠景
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