【道案内】 |
城跡の地図 |
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県道46号から西へと県道31号に入り、300m程西進して左折すると、右手に「石見銀山資料館」があります。この付近一帯が代官所跡で、川を隔てた南側に無料駐車場があります。 |
【感想・メモ】 |
石見銀山資料館に碑と説明板がありますが、向い側の駐車場に馬場跡や向陣屋跡の碑や代官所周辺という説明板もあります。石見銀山資料館前から竜源寺間歩まで3kmの案内が道に出ていますが、この道中に古い町並みがかなり残っていて、のんびり歩くと風情を味わえます。 |
【歴史】 |
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石見銀山は幕府直轄地で、江戸時代の当初から代官が派遣された。初代代官は大久保石見守で、幕末の代官・鍋田三郎右衛門まで59代が務めた。幕末の文久3年(1863)、尊攘過激派が五條代官所、生野代官所を襲撃し、慶応2年(1866)第二奇兵隊が倉敷代官所を焼き討ちした。各地の代官所が尊攘派の標的になっていた折、幕長戦争で浜田藩が敗走したため鍋田三郎右衛門は代官所から逃げ出した。そのため、長州藩は労せずして石見国を掌中に治めた。この長州藩による石見支配は明治4年の廃藩置県まで続いた。 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行 |