島根県のお城 ななおじょう
七尾城
別名 益田城
所在地 島根県益田市七尾町
遺構等 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代
築城者 益田兼時
歴代城主 益田氏
形式 山城(比120m、標120m)
登城時間 登城口から主郭まで約12分
主郭南方の畝状竪堀 訪城日 2013/4/27 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
益田高校の東約500m。西麓の住吉神社が登城口で、神社に無料駐車場があります。
【感想・メモ】
駐車場にお城の説明板があり、駐車場の前には堀跡とも言われる池があります。ここから住吉神社参道の階段を上りますが、右へ曲がる所で左を見ると竪堀が落ちているのが分かります。神社からも登山道は整備され、太鼓の段と厩の段の間に取り付きました。この西尾根を北へ進むと藪で、崩壊したのかと思われる箇所がありました。東尾根は南端に主郭があり、その南の堀切と畝状竪堀が見応えたっぷり。北へ進むとこちらも藪で、北端の郭から北東尾根へ進むと堀切の先に出丸があり、その先端にも畝状竪堀があります。また、城から益田川を隔てた北にある医光寺には大手門が移築されています。
【歴史】
鎌倉時代、益田兼時または益田兼高が築城したといわれ、以後、益田氏歴代の居城となった。弘治2年(1556)、益田藤兼は陶晴賢に味方したため、毛利元就・吉見正頼に攻められたたが、吉川元春の勧告によって毛利氏に従った。慶長5年(1600)、主家毛利輝元が関ヶ原合戦後に防府・長門の2国へ減封された際、城主・益田元祥も毛利氏に従い長門須佐へ移り、城は廃城となった。
参考資料】
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子)

主郭

馬釣井

艮出丸北東の畝状竪堀

西尾根の郭

大手門(医光寺)

益田宗兼墓(医光寺)
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