【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
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国道314号「鴨倉トンネル」から1km程東進して右折し(道路右手に城跡入口の石碑有)、1km程進んで左手方向に「三沢小学校」を過ぎ、更に500m程西進して右折します。この先案内が有り、それに従い山へと上がっていくと突き当たり「みざわの館」手前に駐車場があり、「みざわの館」向かって左が登城口です。車で中腹まで上がれるので主郭まで駐車場から約400m。 |
【感想・メモ】 |
登城口に碑や説明板があり、登城道や城内は整備されています。登リ口から2分も登ればド迫力の大手門石垣が見られます。そこから迷路石垣や竪堀、七曲りを通ると堀切が正面にあり、左が主郭、右が二郭(鳥居丸)です。主郭の亀岩には埋蔵金伝説があり、別名「亀獄城」の由来とか。主郭の南東郭に石碑や説明板があり、ここから見上げる主郭切岸がかっこいいです。二郭は南端に諏訪社が祭られた櫓台が、その北に古井戸があり、二郭から見る主郭の景色もステキ。郭が広く、木々が伐採され見通しが良いので、気持ちいいです。二郭北方にも堀切があります。また、大手門石垣の上段から北へ進むと十兵衛坦で、郭内西方にはコの字形の土塁があります。この東西に堀切が、北西には水の手となる三沢池があります。また、車で上がってくる途中、駐車場の少し手前に「松田氏館」の案内があり、その奥の丘陵上も砦跡のようで案内がありました。 |
【歴史】 |
三沢城は、北に斐伊川、南はその支流の阿井川に挟まれ、山陰・山陽を結ぶ要衝の地にある。嘉元2年(1304)、三沢郷地頭の三沢為長が築城した。三沢氏は16世紀初頭には横田庄内に藤ヶ瀬城を築き、更に仁多郡の他、大原郡にも所領を持ち、出雲国最大の国人として後に出雲を支配する尼子氏にとっても侮りがたい勢力を誇示した。天正17年(1589)まで、三沢氏の居城であった。 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(出雲・隠岐の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子) |