【道案内】 |
城跡の地図 |
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益田市役所支所の北方から国道191号で1.5km程東進して右手に「大智寺」を過ぎ、更に400m程東進して右折します(「丸茂」バス停のすぐ西で登城口の案内有)。200m程南下した右手の民家が登城口です(ここにも案内有)。 |
【感想・メモ】 |
麓の民家は土居で土塁と井戸跡があり、ここから北東尾根を登っていきます。先端が天満宮跡で段郭が続き、途中、三の丸、二の丸の表示がありますが削平は甘いです。北東に堀切や数条の竪堀が施され、主郭は南北に長く城址碑が立ち、南西は三重堀切で尾根を断ち切っています。また、登城口を過ぎたすぐ左手に「森下遺跡」の説明板があります。 |
【歴史】 |
鎌倉時代に丸茂兼忠が築城したといわれる。丸茂氏は、益田氏五代の兼季の四男・兼忠が丸茂郷を領し丸茂姓を称した。 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(石見の城館跡)』島根県教育委員会発行 |