【道案内】 |
城跡の地図 |
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石垣 |
広瀬小学校の南西にある「安来市地域包括支援センター」が陣屋で、安来市地域包括支援センターに駐車可能。 |
【感想・メモ】 |
安来市地域包括支援センターは小学校より一段高く、小学校のグラウンドに面して土塁と石垣が残り、石碑や見取図が描かれた看板があります。また、小学校には家老の鈴木氏庭園も残っており(標柱も有)、山中鹿介の小さな像もあって面白かったです。また、道の駅で貰ったマップに、小学校や市役所広瀬庁舎がある通りより1本東の通り(地図)に藩邸の堀跡が残るとあり、行ってみたら水路になっていました。 |
【歴史】 |
小学校(家老鈴木氏庭園)の山中鹿介像 |
広瀬藩は、寛文6年(1666)、松江藩の支藩として初代松平近栄が創設し、明治4年(1871)の廃藩置県まで続いた。藩領は能義郡内34ヶ村、1万5千石と、飯石群内24ヶ村1万5千石の表高3万石であった。藩長跡は邸内と御山をあわせ約10万平方メートルの広さがあり、藩邸はしばしば火災に遭い長い間仮館であったが、寛政3年(1791)正門を南向きに変え、濠を深くして新館が建てられ、嘉永3年(1850)第8代藩主直寛から城主格となり規模を拡張し、施設を整えた。 |
【参考資料】 |
パンフレット「城下町広瀬 まちあるきへ出陣!」安来市観光協会発行 |